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学校法人大阪滋慶学園 法人改組30周年記念式典が開催されました

学校法人大阪滋慶学園30年記念式典。浮舟総長が約700人の卒業生らを前に歩みを振り返りました

 学校法人大阪滋慶学園30周年記念式典と同30周年記念講演会が6月11日(日)、大阪市中央区のホテルニューオータニ大阪で卒業生や教職員ら約700人が参加して開かれました。参加者には、100ページ余りの「大阪滋慶学園創立30周年誌」と、記念ボールペンなどが記念品として贈られました。

 学校法人大阪滋慶学園は1978年開校の大阪薬学専門学院(現大阪医療技術学園専門学校)をルーツにし、30年前の1987年に大阪ハイテクノロジー専門学校の開校と同時に学校法人化し、今年で30年を迎えました。

 大阪滋慶学園はその後、大阪保健福祉専門学校、大阪医療福祉専門学校、大阪医療看護専門学校、さらに地方活性化への取り組みとして、島根県出雲市や鳥取市との連携による出雲医療看護専門学校、鳥取市医療看護専門学校を次々と開校、来年には岡山県美作市との連携による美作市スポーツ医療看護専門学校(仮称)の開校を予定しています。またこの間、医療の質と安全を探究する国内唯一の大学院として滋慶医療科学大学院大学を2011年に開設しています。この間の卒業生は学園全体で、3万2千人に上り、医療・福祉・健康スポーツ分野などで活躍しています。

 式典には大阪を中心に全国各地から卒業生らが集まり、それぞれ恩師らと旧交を温めました。中には、夫婦共に卒業生というカップルや、子供連れの卒業生も目立ちました。

浮舟総長あいさつ 「ただ素晴しい人材を業界に送り出したいという思いだった」30年を振り返える

 まず、前身の大阪薬学専門学院から理事長を務めてきた大阪滋慶学園グループの浮舟邦彦総長があいさつを行ないました。浮舟総長は、大阪滋慶学園の歴史と、25万人の卒業生を送り出し、現在70校3万5千人の学生が学ぶ滋慶学園グループの歴史を重ねながらこれまでの歩みを振り返り、「今あるのは、決して量を求めた結果ではありません。それぞれの学科、学校の教育の質を高めて素晴しい人材を業界に送り出したいという強い思いを持って一歩ずつやってきたことが、結果的にボリュームにつながったのだと思います。今後もより良い学校を作ってゆき、卒業生の皆様の質の高いキャリアアップをサポートするようなシステムを作り上げて行きたい」と述べました。また、職業実践専門課程への対応強化とともに、2019年に文科省が開学を進める専門職大学への対応、大学院の研究科の充実などを行なっていく強い決意も述べました。

近藤学校長 「教職員を最高の厳しさで鍛えたことが懐かしい」

近藤雅臣学校長のあいさつ近藤雅臣学校長のあいさつ

 次いで、各校の学校長を代表して、大阪ハイテクノロジー専門学校の初代学校長に就任した近藤雅臣学校長が「素晴しい職業人を育成するために、他の学校では見られないような厳しい教育でまず教職員を鍛えようとスタートさせた当時が懐かしい。その結果、本当に素晴しい人材を送り出せて、その人たちが業界の中堅や上級職として活躍されるまでに育っていただいて嬉しい。今後とも最高の努力を重ねて行きたい」と回想。このあと、各校の同窓会を代表して、大阪ハイテクノロジー専門学校の1期生で、生命工学技術科を卒業した大日本住友製薬グループDSファーマバイオメディカル株式会社製品管理部副部長の上田忠佳さんがお祝いの詞を述べました。

同窓会代表あいさつ 大阪ハイテク1期生の薬品会社副部長の上田さん

同窓会代表の上田忠佳氏同窓会代表の上田忠佳氏

 高校では、”帰宅部”だったという上田さんは、「同じ目的を持った仲間同士、毎日、一緒に学校に居残って共に遊んだり学んだり、本当に学校が楽しかった」と当時を振り返りました。さらに、「学校は学生や高等学校、地域、業界からの4つの信頼を掲げていますが、新たなキーワードとして”卒業生からの信頼”をぜひ掲げていただきたい」と述べ、生涯教育の場を通して、学校と卒業生、さらに卒業生のネットワークを大切にしていきたいと訴えました。そして、親子2代で大阪滋慶学園に学ぶ人も増えていることを紹介、自らもご子息を学ばせており、「保護者としても今後も学校の発展を切に願っております」と結びました。

大阪大学の心臓血管外科学教授、澤芳樹氏祝辞

大阪大学大学院の澤芳樹教授大阪大学大学院の澤芳樹教授

 心臓外科の権威として知られる大阪大学大学院の澤芳樹教授が来賓を代表して、医療福祉の世界で専門職として働く大勢の卒業生に向って、医療人の心得ともいえる話をしていただきました。30年前、まだ若い心臓外科医だった時代に大阪ハイテクノロジー専門学校や大阪医療技術学園専門学校から学生を受け入れて、新しい職業として始まった臨床工学技士の育成に関わった思い出を披露。さらに司馬遼太郎さんが小学4年の教科書に書いている「洪庵のたいまつ」という物語を紹介、「緒方洪庵は適塾を開いて当時流行っていた天然痘をなくすために、種痘を普及させつつ、多くの人材を育成した素晴しい人です。自分が教えを受けたたいまつ、教えを受けた技術を一層、広く大きく照らして若い人に一つ一つ松明を授けていく。その松明がさらに大きくなって明治という新しい時代を迎えるに至る、その人たちを育成したのです。この物語にあるように、人をいかに育てるか、それが世の中を変えていく、もしくは大きな世の中を支えていく原動力になっていく、これほど素晴しい教育事業はありません。これは浮舟総長の理想と理念に通じると思います」と澤先生自らの思いも託しながら、話して頂きました。

各校卒業生代表に感謝状が浮舟総長から贈られた各校卒業生代表に感謝状が浮舟総長から贈られた

 祝電の披露が行なわれ、大阪府病院協会会長の福原毅様、大阪府私立病院協会会長、生野弘道様、国立循環器病研究センター理事長、小川久雄様をはじめ、各界から寄せられたお祝いの電文が紹介されました。
 なお、この日の式典では、大阪ハイテクノロジー専門学校臨床工学技士科卒業生の楠本繁崇さんら8名の同窓会活動に携わる卒業生への感謝状が浮舟総長から贈呈されました。

慶応大学医学部の三浦教授が記念講演 「これからの医療・介護と専門職の役割」

記念講演を行なう慶応大学医学部の三浦公嗣教授記念講演を行なう慶応大学医学部の三浦公嗣教授

 30周年記念講演会では、厚生労働省の元老健局長で、慶応大学医学部臨床研究推進センター教授の三浦公嗣氏が「これからの医療・介護と専門職の役割」のテーマで記念講演を行なっていただきました。
 三浦教授は平成12年に厚生労働省がスタートさせた介護保険制度の生みの親であり、「滋慶学園が養成する保健医療福祉の人材は少子高齢化の中で益々引く手あまたとなる。逆に言うとそれだけ卒業時に完成した能力や技術を持った人材が求められる」と、述べ、保健医療福祉のこれからの世界は、「家族地域社会の変化」、「ニーズの多様化」、「問題の複合化」、「支援の複雑化」といった課題を抱えて、「様々なサービスの提供」や、「生産性の向上」などが求められていくと指摘しました。
 さらに三浦教授は、これからの課題に対応するためには、「それぞれ職種の異なる専門職が連携したり、助け合い、さらにはロボットの導入なども考える必要がある」「専門職は10年後、20年後のキャリアパスを考えておかなければいけない」「これからのチーム医療の中心はあくまでも患者さんでなければならないし、地域包括ケアシステムは、行政単位ではなく、地域の数だけ様々な地域や人にあったシステムがあっていい」など、記念式典に参加した、専門職として働く卒業生の皆さんにとって、足元を見つめ直す講演内容となりました。

 最後に、滋慶医療科学大学院大学の武田裕学長が、「医療福祉の専門職として現場で経験を重ねた専門学校の卒業生も一定のルールを経て大学院への受験資格を得ることが出来ます。夜間の大学院なので働きながら学ぶことが出来るので、皆さんもキャリアパスとして、ぜひ挑戦して欲しい」と、呼びかけました。

第二部の記念パーティ 専門職同士の情報交換の場となりました

乾杯のあいさつを行なう大阪保健福祉専門学校の卒業生、福﨑友和さん乾杯のあいさつを行なう大阪保健福祉専門学校の卒業生、福﨑友和さん

 第二部は同窓会の皆さんの仕切りで記念の懇親会が開かれ、2009年の大阪保健福祉専門学校看護科卒業で株式会社リハックスのリハビリ訪問看護ステーションやまとの管理者をする福﨑友和さんが乾杯の音頭をとってはじまりました。
 パーティの半ばでは、OB、OGの司会によってペア温泉旅行券など豪華賞品があたる大抽選会が行なわれ、会場は大いに盛り上がりました。また各テーブルでは、先輩と後輩がそれぞれ名刺を交換し、互いの仕事を紹介し合う風景があちらこちらで見られました。そこは先輩と後輩、卒業年次や学校を越えてすぐに意気投合し、医療や福祉の現場で働くもの同士、和気藹々の情報交換会が展開されていました。

 最後に橋本常務理事があいさつを行い、各校運営責任者を紹介して「これからも10年、20年、30年と学園の発展をめざして頑張ってまいります」と感謝と決意を述べました。

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  • 大阪滋慶学園の30周年記念誌などが入った記念品