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滋慶学園グループ入学式での湯川れい子名誉学校長祝辞

滋慶学園グループの大阪・京都にある音楽・ダンス・クリエイティブ系8校合同入学式が行われた大阪城ホール前。夢を持った大勢の入学生が集まった

社団法人日本作詩家協会名誉会長

湯川れい子名誉学校長祝辞

夢なくして人生は送れない~母をなくした被災地の小学生が撮った「生きていく希望」~

新入生の皆様、保護者の皆様、関係者の皆様、本日はご入学おめでとうございます。
第一部の式典最後は私のご挨拶なのですが、大きな大ホール一杯に新入生がおられて、アリーナには入りきれなくて2階席にもいらっしゃると聞きました。

今日と言う日は皆さんにとっては記念すべき日だと思います。一生に一度の大切な日であることに間違いはないと思います。高校を卒業して、いよいよ社会に半歩踏み出した。そんなときに少しでも思い出に残るような、モチベーションのかけらのようなものをお届けできたら、という思いで、今ここに立っています。一人ひとりの心の中に何か届くようにと務めたいと思います。

昨日、宮城県でまた地震がありました。先日はこちら(大阪)も少し揺れたと聞きました。一昨日、仙台の姉妹校の入学式があって、その時にもお話をしましたが、みんなみんな、自分がやりたいこと、夢を見つけて皆さんここに座っています。でもその夢って変わらないものなのでしょうか?。

変わります。私は変わってもいいと思っています。あたりまえじゃないでしょうか。だって考えてみて下さい。ついこの間までITで生涯食べていこうなんて思っていた人はいなかったはずです。まだそんな仕事は無かったから。CGだってまだありませんでした。ええっ?好きなマンガで生きていく?!なんて考えもしなかったかもしれない。それも、これから20年、30年あることなのか、それもまた分かりません。

でも夢がなかったら、そしてその夢に向って歩いていく力がなかったら、パッション、情熱がなかったら、決して何も出来ませんよね。その人はそれだけで幸せな人生を送ることができないと私は思います。

夢を見つける、常に夢を持ち続けることは、実はとても難しいことだと思うのです。そんなことで、最近私はとても感動したことがありました。それはおととい、仙台でお話ししながら一緒に泣いたのですけれど、まだ大震災から2年です。仙台で入学して来られた生徒さんには一人ひとり心の中に、まだ鮮やかな悲しみがあることが分かりました。

私の友人で静岡に住んでいる庄司博彦さんというカメラマンの人がいらっしゃるんですが、その方は今まで何回もベトナムとかカンボジアとかフィリピンとか、そういうところに行って、日本ではスーパーマーケットなどで売っている簡易カメラがありますよね、25枚とか27枚撮りの、あれをメーカーから譲り受けて50台とか100台とか持って、ベトナムやカンボジア、フィリピンのスモーキーマウンテンなどで生活している子供たちのところに行く。そのカメラをあげるのではなくて、「これを君たちに貸してあげるから、ぜひこれで君たちにとっての平和とは何かを写真に撮って、おじさんに返してくれないか。それでおじさんは展覧会をしたいんだ」という活動をしていらっしゃいました。

この方が大震災から1年3ヶ月経ったときに石巻の小学校で、当時小学校6年生だった子供たちの何十人かにそのカメラを渡しました。そして「君たちにとっての夢、希望、前を向いて生きるというテーマで、写真を撮ってきて下さい」とお願いして、やがて開かれた展覧会に出品された写真を見て、本当に胸を打たれました。その写真はひとりの男の子が撮ったものですが、その子のお姉ちゃんが背中にカバンをしょって家の中の階段を下りていく写真でした。

130501_4あの大震災の日、その子は小学校で部活をしていました。そして大揺れのあと津波が来るぞというので、近くの中学校の屋上に逃げました。その子のお姉ちゃんも学校にいてすぐに会うことが出来ました。そしてやがてお父さんが迎えに来てくれました。家は幸いなことに1階は水浸しになったけれども、崩壊せずに2階が残っていたといいます。お父さんに連れられて家に帰ると、おばあちゃんが一人で震えながら待っていました。でもお母さんは帰ってこなかった。翌日も、その次の日も捜して捜して、1週間経ったときに遺体で見つかりました。お母さんは仕事場で地震に遭って、子供たちのことが心配で、混んでいる国道を避けて、海岸沿いに車を走らせて津浪にさらわれて亡くなったのだそうです。

そしてもう一枚の写真というのを見て私は大泣きしたんですが、その子は「君の夢、君の希望、前を向いて歩くということはどういうことか」と言われて、「そんなもの見つかる訳がない。今のボクには何にもない」って。想像してみて下さい。まだ小学校6年の男の子ですよ。考えられないようなことでお母さんが突然、亡くなってしまった。でもそういう宿題の中で学校に行こうとするお姉ちゃんの背中を見て、「これがボクの希望かもしれない、このお姉ちゃんが居てくれるから自分にも生きていこうという希望があるんだ」と思って、お姉ちゃんの背中を写した。

もう一枚の写真は、お母さんが履いていたスリッパが、たぶん津波で一度はプカプカ浮かんだのでしょうが、玄関に脱いだ時のままで置いてあるスリッパの写真でした。

それは、その男の子とお母さんにとって、とても大切な思い出のあるスリッパだったそうです。津波より一週間ほど前に、お母さんのスリッパが壊れて、その男の子は自分が履いていたスリッパをお母さんにあげました。「まあ、君もこんなに大きくなったのね、ありがとう」って言ってお母さんはそのスリッパを履いてくれていた。そのスリッパがそのまま残されてたのです。

辛くて見ることもできない。そのスリッパを認識するのもイヤっという思いでいたけれど、その男の子は考えたのだそうです。「自分にとっての希望ってなんだろう、夢ってなんだろう」。「お母さんに会うことしかない。でもあのお母さんはこうもしたい、ああもしたいと思いながら、自分に思いを託して逝ってしまった。そのお母さんの悔しさ、悲しさを、いつか自分が夢をかなえることでお母さんに報告できる時がきたら、『こんなことしたよ、あんなことしたよ、こうして生きてきたよ、お母さん』って、報告できる自分でありたい」と初めて思って、そのお母さんのスリッパを撮ったのだそうです。

私はそれを見て、大泣きしました。やはり展覧会に来られていた女性がすごく泣かれて、おっしゃったそうです。「私もこの世には神も仏もいないのかと、ずうっと希望を失くしていたけれども、この子の写真を見て、これじゃいけないと心から思うことができた」って。

その男の子のお父さんは、あの津波の日以来、家に帰ってきてもまっすぐ自分の部屋にこもってしまう。ほとんど喋ることも無くなった。お母さんの話はタブーでした。その分、本当に本当に寂しい毎日でした。でもそのお父さんが展覧会に来てくれて、その写真を見て、その男の子の頭を撫でて「ごめんな。お父さんもこれからちゃんと前を向いて頑張る」って、抱きしめてくれたといいます。

皆さんにとって、前を向いて歩くって、夢、希望って、何でしょうか?

私はそれなりに自分の希望、夢を生き続けてきた気がするけれども、でも改めてこれから先、生きていく、それは何年か分かりません。明日終わるかも知れない。5年先かも知れない。10年先かも知れない。でも私も私の夢を撮り続けようと思いました。皆さんも携帯電話を持っています。これは1回目の授業です。私の宿題です。その携帯電話で皆さんの夢、前を向いて歩こうという写真を撮ってみてください。もしかしたら、この中にいる誰かが、そんな展覧会をいつかやってくれるかも知れない。10年後でも、20年後でも、私はそれをどこからか見ていたいと思っています。

ちょっと湿っぽい話になっちゃったけれど、でもそれが私の今日の皆さんへの1回目の授業と宿題であり、そして心からの祝辞でもあります。あらためてもう一度、ご入学おめでとうございました。