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学園の名誉学校長、津川雅彦先生が逝去されました 哀悼の意を表します

ありし日の津川雅彦先生

 東京放送芸術&映画・俳優専門学校の前身である東京フィルムセンター映画・俳優専門学校の開校(2004年)以来、名誉学校長として学生をご指導いただいた俳優であり監督の津川雅彦先生が8月4日に逝去されました。滋慶学園グループ(浮舟邦彦総長)として哀悼の意を表します。

 同校副校長兼教務部長の久野真人先生によると、津川先生は映画に舞台に熱い情熱を傾ける学生のために、多忙な合間を縫って月1回の「津川ゼミ」を主宰、約30人の学生が受講していました。目をらんらんと輝かせる学生たちを前に、先生は映画に賭ける自身の思いを語るとともに、映画全般についての成り立ちや基本・基礎についても一から教えてくださいました。また何よりも映画人としての心得や心構えというものを熱心に指導されたといいます。

 また津川先生は、学生たちが映画の世界に関われるチャンスを与えて下さいました。産学連携プロジェクトの一環として、自らがメガホンをとった第1回監督作品の「寝ずの番」(2006年)や「旭山動物園 ペンギンが空を飛ぶ」(2009年)、さらには出演しているTVドラマなどにも、これまでに多くの学生や卒業生が出演者やスタッフとして一緒に活動させていただきました。

滋慶学園の卒業式に登壇された津川先生

 また津川先生は入学式や卒業式でいつも日本の自然や四季の美しさや、そのことによって育まれた日本人の資質の素晴しさにふれ、そのことが世界の平和につながるのだと格調の高いお話をしてくださいました。東北大震災後には、寒さと飢えの中、悲しみを乗り越え1斤のパンを3、40人もの人が平等に分かち合って耐え、礼節を守った日本の、東北の美しい心が英国紙に掲載され、世界がびっくりしたことを日本人として誇りに思うと、紹介されていたのが印象的でした。

 学校はすでに夏休みに入っていますが、津川先生の訃報を知った何十人という卒業生や在校生から悲しみの声と共に「何かお手伝いすることはありませんか」と電話やメールが入ってきました。長年、親交のあった浮舟総長は「早すぎますよ。もっともっと映画人、教育者として生きていただきたかった。ほんとうに素晴しい人を失ってしまいました」と肩を落としていました。かつて劇団四季で俳優として活躍していた久野先生も「同じ業界人として長年一緒に仕事をさせていただきました。津川先生にはもっともっと学生に教えて欲しかったし、思い出もありすぎて、今は言葉もありません」と衝撃を受けていました。