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「余命2週間」からの生還! 壮絶な闘病生活と骨髄移植を乗り越えた大阪ハイテクノロジー専門学校の卒業生

病魔を跳ね返し母校を訪ねてくれた伊藤勇人くん。闘病生活をへて「人のために生きたい」と活動しています

 ようやく気温が下がり始めた9月の終わり、懐かしい顔が教務室を訪ねてくれました。
 「お久しぶりです!」。元気な声をあげた彼の名は伊藤勇人くん。本校スポーツ科学科を2011年3月に卒業した彼の笑顔は、在学中と全く変わってないように見えました。卒業してからの7年間、彼は壮絶な闘病生活を送っていたのです。

 整骨院に就職して数カ月、伊藤くんは体調に異変を感じながらも精力的に働いていました。そんなある日、勤務中に突然気を失ってしまった彼は、診察を受けた病院で体内に巣喰う悪性腫瘍の存在を知らされます。体力もあり、ポジティブ思考の自分がそんな病気になるわけがないという受け入れがたい感情や、死への恐怖を突きつけられて不安になる感情が渦巻く中、「リンパ芽急性リンパ腫」との闘いが始まりました。

 ステロイド治療に抗がん剤治療、生検のための外科手術を受けました。特に抗がん剤治療の副作用は想像を絶する苦しみだったそうです。家族には気丈に振る舞ったという伊藤くんですが、看護師さんには「死にたい」という辛い気持ちや悩みを聞いてもらっていました。どうしたらこの苦しみから逃れられるのかとばかり考えていた彼は、看護師さんの励ましを受け、自分のまだ叶えていないたくさんの夢を思い出し、それを支えにしたそうです。

 一度目の抗がん剤治療を乗り越えアルバイトを始めた彼ですが、退院からわずか4ヶ月後に病魔が再発します。今度は「末梢性T細胞リンパ腫」と病名がつけられ、さらなる抗がん剤治療に取り組むことになります。その後もMEAM療法からの自家移植、放射線療法を経て、寛解する時には両側の股関節が人工関節に置換されていました。

 ようやく週2回のアルバイトを始めた彼に、再々発という悪夢が襲います。

 残された方法は骨髄移植しかないと聞かされました。彼は長い入院生活でその怖さを実際に見てきているため、一番受けたくない治療だと考えていました。しかし、ずっと大好きだったお兄さんの骨髄を移植できることになり、お兄さんが自分を生かしてくれると考え、受け入れることにしました。この時には「余命2週間」の宣告を受けていたそうです。

 移植は無事成功したのですが、それに伴う副作用に、彼はまたも「どうすれば死ねるか」という絶望的な感情に苛まれるようになります。しかし次第に苦しい症状が落ち着き、2015年10月、とうとう全ての治療を闘い抜き、退院の日を迎えることができました。明るく話してくれる彼の様子に、胸が詰まる想いでした。

「人のために生きたい」

 伊藤くんは今も十種類近くの薬を服用しています。壮絶な闘いの後に考えたことは、「人のために生きたい」ということだったそうです。病気を克服しても、社会復帰はそう簡単なことではないということを、身を以て経験してきた彼。特に働き盛りを含むAYA世代(10代後半~30代の人達)の闘病には、問題が山積しているといいます。


闘病体験を寄稿した雑誌の表紙を飾りました

 自分と同じような苦しみを抱えた人達に、それを共有できる場を提供したいという想いから、伊藤くんは今、ピュアサロン「HARU」という定員3名の小さなサロンを月1回開催しています。その他にも子供食堂のボランティアをしたり、今なお入院する闘病仲間たちを応援したり、自分の体験を講演することで誰かに勇気を与えたり、彼の毎日は誰かの役に立ちたいという想いで成り立っています。そして将来の大きな目標として、世界の難民の子ども達に食事を提供するすべを懸命に考えています。

 こんな想いになれたのも、家族の「大丈夫」というパワーフレーズが強力に彼を支えてくれたからこそ。今度は自分が支える存在になるべく奮闘する彼の話を、本校の1年生達に聞いてもらう予定にしています。今後の活躍を心から応援します!

大阪ハイテクノロジー専門学校  鍼灸スポーツ学科 専任教員 山根 太治)